2015~2016年度国際ロータリーのテーマBe a gift to the world(世界へのプレゼントになろう)に因み、Giftの前にロータリアンが受けているプレゼントは何かを考えてみます。
クラブには、先輩達が残した冊子があります。今年度はまずそのプレゼントをひも解いてみます。
福井 順さんの書かれた冊子「ロータリーからのプレゼント」をはじめとして、山田 遼さんの「保利春寿のほんねとたてまえのロータリー」をシリーズで掲載します。20年位前の発刊ですので、現在と違うこともありますが、真髄は不変です。

- 「ロータリーからのプレゼント」
福井 順 著書
- 「保利春寿のほんねとたてまえのロータリー」
山田 遼 著書
保利春寿氏のほんねとたてまえのロータリー 山田 遼
クラブの冊子「ロータリーの道しるべ」よりクラブの先輩故山田遼さんの「保利春寿氏のほんねとたてまえのロータリー」を掲載します。
あとがきを引用すると
ポール・ハリスがもし日本に帰化したら、きっと「保利春寿」という日本名を付けたに違いない。その彼にロータリーを批判させてみたら、こんな発想をしてみた。富士登山道は吉田口を表道とし、御殿場口を裏道とする。今回は御殿場口から登ってみようと思った。つまりロータリーを裏から眺めてみようというのである。~中略~
所詮、富士山は富士山であった。表口から登っても、裏口から登っても。山頂の眺望は全く同じであった。しかし裏道のどこかに、ロータリーを見直す一草なりとも見付けていただいたら幸いと思う。
ロータリーは「量より質か、質より量か」どちらがホントか
第2次大戦のため解散を余儀なくされた時の、日本ロータリークラブの会員数は約2,000名でした。今日の50分の一であります。
確かに、当時のロータリアンの質は極めて高く、まさしくエリートの集団でした。英語が出来ることが入会資格条件であったと聞いています。その流れで今日でも日本ロータリアンは「量より質」に郷愁を抱いているようですが、これはポール・ハリスの思想に反していると思います。
ポール・ハリスガ始めてロータリークラブを創った時、大学出は彼一人だけで、他の3人はいずれも田舎出の若者にしか過ぎませんでした。アメリカのロータリーは底辺より、日本のロータリーは頂点よりという図式が目に浮かぶようです。
ところで質とは何でしょう。家柄でしょうか。学歴でしょうか。財産でしょうか。それとも社会的地位でしょうか。もしこれらが質の要素とするならば、私など到底ロータリアンの資格はないと思います。
戦前に戻って、今のロータリアンを50分の一にしたならかなり質の高いものになるでしょうが、そしたら果たして今日の日本ロータリーの隆盛はありえたでしょうか。
それでもロータリーは、「質より量」なのでしょうか。
※注 2015年8月末現在の日本のロータリークラブ会員数は。88,599人