
東山手12番館
東山手は、南山手と同じく長崎居留地の居住区として幕末期から開発されたが、活水女学校、鎮西学院、東山学院、海星学校など多くのミッション・スクールがここで開校したことから、「ミッショナリー・ヒル」(宣教師の丘)とも呼ばれた。
東山手12番館は、アメリカの貿易商人ジョン・G・ウォルシュが明治元年(1868)ごろに住宅兼商社として建設した一階建て洋風建築。ウォルシュはアメリカ領事を務めていたことから、住宅は当初から領事館の機能も備えていた。ウォルシュ商会の従業員、J・W・リームブルーゲンがロシア領事代理を務めたので、同館はロシア領事館として利用される時期もあった。
ウォルシュ商会が神戸に移った後、東山手12番館は鎮西学院のアメリカ人校長住宅となった。オペラ「蝶々夫人」の原作者であるジョン・ルーサー・ロングの姉、ジェニー・コレル女史も約5年間ここに暮らし、弟に長崎の情報を伝えた。原作「マダム・バタフライ」の最後に「ヒガシ・ヒル」という地名が登場するが、これはコレル女史が住んでいた東山手12番館を暗に指していると思われる。
同館は、明治35年(1902)から大正10年(1921)まで再びアメリカ領事館となり、その役目を終えた後は宣教師住宅に戻った。現在は国指定重要文化財として現存し、異国情緒漂う東山手の丘に次々と創設されたミッション・スクールの歴史を紹介する旧居留地私学歴史資料館となっている。
写真説明:明治35年(1902)から大正10(1921)まで、東山手12番館はアメリカ領事館として利用された。旗竿にはアメリカ国旗が揚げられている。
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- ブライアン・バークガフニ 氏
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長崎総合科学大学 環境・建築学部 教授
グラバー園 名誉園長1950年カナダ、ウィニペグ市に生まれる。1972年、ヨーロッパ、インド等を経て来日。
著書には『蝶々夫人を探して』(かもがわ出版、2000)、『庵』(グラフ社、1995)、『時の流れを超えて:長崎国際墓地に眠る人々』(長崎文献社、1993)、『花と霜:グラバー家の人々』(長崎文献社、1989)などがある。