長崎南ロータリークラブ

森山 栄之助を称えて

長崎南ロータリークラブは、「マクドナルド」「森山栄之助」の功績をただ称えるのではなく、顕彰碑を起点として、歴史を学び文化を守る尊さを子供たちに伝え、英語教育発展の指標となることを祈念致し活動することを目的として、「森山栄之助顕彰碑」を建立いたしました。

vol.3

森山栄之助とラナルド・マクドナルドの顕彰碑

森山栄之助とR・マクドナルドの出会い

日本の鎖国時代、英語を知らない人達と、日本語を知らないマクドナルドがどのようにしてお互いの友情を深めあっていったのでしょうか。7か月という短い期間の出来事が、のちの日本開国の時通訳として活躍した森山栄之助をはじめとする通詞達に、世界に開かれる目をもたらしたことは確かではないでしょうか。

マクドナルド、who?
~初めて日本人に「生」の英語を教えたラナルド・マクドナルド~

嘉永元年(1948年)北海道利尻島に一人のアメリカ人が漂着し、長崎に移送されて来ました。名をラナルド・マクドナルド。

1824年、オレゴン州アストリアにスコットランド人マーチボルド・マクドナルドを父に、チヌーク属の族長の娘、プリンセス・レイヴンを母として生まれました。
ラナルドは母方の祖先は遠いアジア、日本辺りから来たと信じていました。当時日本から北アメリカのフラッタリ岬に漂流してきた音吉達を知り、太平洋を隔てた日本に強い興味を持つようになり、日本の事を色々調べ始めたのです。当然日本の鎖国を知っていましたが、日本への強い関心を抑えることは出来ませんでした。そこでホノルルで日本近海に出航する捕鯨船「プリマス号」に乗り、日本近海でボートを下ろし、漂流民を装ってわざと自分のボートを転覆させました。はじめは焼尻島、次いで利尻に上陸。そこでアイヌの人に発見され、松前藩の宗谷勤番所を経由し長崎に護送されました。鎖国下の日本では外国人の入国は違法ですので、密入国者として役人の強い監視下におかれました。そして長崎奉行所の取り調べを受けた後、彼は「大悲庵」に収容されました。
まさにこの「大悲庵」で、マクドナルドと森山栄之助は出会ったのです。

2014年9月に建てられた森山栄之助の顕彰碑と、20年前に建てられたラナルド・マクドナルドの顕彰碑は、この大悲庵跡にあります。

森山栄之助とラナルド・マクドナルドの顕彰碑までの地図

アクセス

長崎市上西山町の松の森通り:長崎電気軌道の「諏訪神社前」停留所から徒歩約5分

森山 栄之助(多吉郎)
森山 栄之助(多吉郎)
文政36月1日(1820年7月10日)-明治4年3月15日(1871年5月4日)

文政3年(1820年)長崎に生まれる。

幕末期の通詞。諱(いみな)は憲直、通称は栄之助、のち多吉郎。

家族からオランダ通詞としての必要な知識を受け継ぎ、アメリカ人ラナルド・マクドナルドから英語を学び、蘭・英2ヶ国語の通詞となる。

マシュー・ペリー来航の際も通訳を務め、日米和親条約・日米修好通商条約締結の際にも通訳として立ち会った。

門下生に津田仙、福地源一郎、沼田守一などがおり、福沢諭吉も短期間ではあったが学んでいる。

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